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  <title>オタク浪人のブログ・１２０３教室</title>
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  <description>ダメ人間のオタク浪人のブログ・９つ目。</description>
  <lastBuildDate>Thu, 04 Aug 2011 13:51:31 GMT</lastBuildDate>
  <language>ja</language>
  <copyright>© Ninja Tools Inc.</copyright>
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    <item>
    <title>Harouna Mounkaila『Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島』7</title>
    <description>
    <![CDATA[<p>Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島には、雨期には農業労働者がやってくる。彼らは、粟とモロコシの草取りに従事する。これらの農業賃労働者を雇うことは、家族の労働力の不足を補い、彼らの一部をさいて群の見張りをさせ、または移牧の間群を率いさせることを可能にする。</p><br />
<p>であるから、特にモロコシの栽培地に関しては、犂を使うような投資も行われる。住民の多くは、モロコシの畑に種を蒔くに際して、このような耕作法に頼る。だが、畑が小さいために、これらの農牧者たちは、その費用が数頭の獣を売ることを必要とすることになってもこれらの労働力を利用する。これらの労働力は、Dosso、Boboye地方、そしてZarmagandaからも来る。</p><br />
<p>島はまた、Niger川の西とBe[鋭アクサン]ninから来る羊飼いたちにとっての放牧領域ともなる。これらの飼育者たちの島での滞在は数ヶ月続く。</p><br />
<p>Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島の住民にとって、peul語でMayo Mallal Maddi、zarma語でIssa Be[鋭アクサン]ri(大きな川)と呼ばれる太い方の支流は、Be[鋭アクサン]ninとNigerの間の国境となっている。植民地時代から、島の住民には、この支流を渡るとBe[鋭アクサン]nin人の領域であるという意識があった。現地の意味体系では、この太い方の支流は、zarma語でIssa Kai[トレマ]na(小さな川)ないしはpeul語でMayel Younaと名付けられ、Ouna村の側を通っている細い方の支流と区別されている。</p><br />
<p>彼らの自由な移動を妨げている問題も、この観念を補強している。実際、国境についての緊張の時期の間、島の住民は、川の右岸の村や市場を訪れた際、あらゆる種類の報復を受けた。Karimamaの市場を訪れた住民たちは、丸木舟を下りるやいなや憲兵から金を要求された。羊飼いたちは、より多くの放牧税を支払わされ、多額の罰金・監視・動物殺し・肉体的な損害など、あらゆる種類の侮辱を受けた。これが、紛争の時期には彼らが滅多に国境を越えなかった理由である。この場所が使えなかった間、彼らはNiger側、しばしばounaの市場に向かった。国境紛争は、島とNigerに対する強い帰属意識を伴った。島の住民たちは、島に翻り、この空間の主権と権威を示すNigerの旗を降ろすことを拒んで、Be[鋭アクサン]ninの憲兵の策謀を退けた。彼らはまた何度も右岸のBe[鋭アクサン]nin人が島に植えた種を取り沿い他。また、Be[鋭アクサン]ninの医師団によるワクチン接種を拒んだ。1960年の悲劇的な出来事も、島の住民の帰属意識を明らかにした。一方で、彼らはBe[鋭アクサン]nin人の羊飼いがこの島に移牧に来ることを決して拒みはしなかった。</p><br />
<hr><br />
<p>オタク浪人がGoogleEarthで見たところ、このLe[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島は、ほぼ完全に砂州のように見える。Niger川はここに限らず全体的に川の蛇行によって生じた三日月湖が多いのだが、この島の内部にも河道ないしはその跡と見られる部分があり、全体を一つの島と見ることも前提知識がなければ難しく、本文記載の位置情報によって確認したのでなければ、ここをLe[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島と同定するのも難しかったろう。一見したところ植生があるようにも見えず、限界近くまで拡大して始めて、本文に記されている砂質高地上に、樹木がいくらかと住居らしき構造物があるのが確認できた。もっとも、河道跡が見える部分(ここがおそらく本文で言う浸水地帯)が黒く見えるのは、或いは草が生えているからかもしれない。</p>]]>
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    <category>未選択</category>
    <link>https://otakurounin.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/harouna%20mounkaila%E3%80%8Ele-%E9%8B%AD%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3-te-%E9%8B%AD%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3-%E5%B3%B6%E3%80%8F7</link>
    <pubDate>Thu, 04 Aug 2011 13:51:43 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>Harouna Mounkaila『Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島』6</title>
    <description>
    <![CDATA[<p>Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島の住民たちは、島の外にも、その移動性によって、領域を持っている。これには、本質的に大西洋岸への季節的な移住のほか、Gaya方面や、Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島外への移牧もある。であるから、移動空間の構造は、複数の方向の極へ向かう扇状をなしている。とりわけ、Be[鋭アクサン]nin、togo, Nigeria,がそうである。だが、住民の移動空間は他の場所、とりわけGayaの近くの町、Burkina Fasoへも向かっており、Burkina Fasoは、DjayoriとKoroaの小集落の住民の一部を受け入れている。</p><br />
<p>Gayaにへ行った移民はそこで基本的に小さな商売をしており、Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島に依拠した集団に属していることで特異性を持っている。彼らの大部分はもはや群を持っておらず、農業と移民から得られた資源に頼って生活している。</p><br />
<p>Burkina Fasoに滞在している移民について言うと、彼らは皆Volta地方で漁業をしている。移民の多くは、立った動物を販売することに特化している。これらの動物は、大抵、動物市場を求めてDosso県から来ている。他の者たちは、Be[鋭アクサン]ninやTogoで羊飼いとして雇われている。彼らは、飼育に特化していない飼い主のために、牛の群の日々の見張りをしている。羊飼いたちは、四ヶ月が終わったところで、報酬として牛一匹を受け取る。その牛は、150[15万の意か]~20万Fcfaになる。これは、行う上での危険、とりわけ川の存在あるために、とても実入りの良いものとなっている。移民たちにとって、Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島は、繋がりの地であり、数ヶ月の他国での滞在の後に帰る場所となっている。</p><br />
<p>移植の必要という古典的な満足のほかに、この出稼ぎは、二つの結果をもたらす。一つには、これは販売する動物を節約し、家族の生存を確保するための補完的な食料の購入を可能にする。もう一方で、状況がそれを可能にするのならば、この資源は動物を買って群を拡大することのためにも使いうる。</p>]]>
    </description>
    <category>未選択</category>
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    <pubDate>Sat, 30 Jul 2011 13:49:39 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>Harouna Mounkaila『Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島』5</title>
    <description>
    <![CDATA[<p>KoroaとDjayoriそしてIssa Koi[トレマ]raの小集落の人間は、漁業と農業を組み合わせて生活している。もともとは漁業だけを行ってきたが、この活動から得られる資源の不足が、彼らに住居のすぐ周辺で農業を営ませることになった。彼らは、基本的にモロコシ、玉蜀黍、米を栽培している。彼らは、島の最初の占拠者たちと彼らの子孫たちがそうしているようには、toudouに粟の栽培のための土地を持っていない。彼らは、それをrouga(村の長老)から借りている。</p><br />
<p>農業は、ここでは、生き延びるための生産体系に統合されている。これは、漁業を補完する活動となった。農耕のための耕地の不足、しかも、その耕地がしばしば川の増水のために損なわれることが、この共同体の構成員を恒常的な食糧不足に置いている。漁業資源は、家族の生存を確保するための必需品の購入に充てられる。漁業による収入が家族の生活の必要を満たすに足らないことが、農業を行うことを必要にさせている。この活動に当てられている面積の大きさと、それを主要な活動にしている人口の多さから言えば、牧業はLe[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島の職業の中で第一のものであり続けている。</p><br />
<p>この島の土地は、最初の占拠者たちの子孫とその家族に相続によって属している。残りの住民は、畑を借りることを余儀なくされている。個人、または家族による島状砂質高地の土地の取得は、その恒久的な利用か、またはしばしば一時的な宿営を設けることで実体化された。反対に、放牧に捧げられている浸水地帯は共同体に属する。この放牧領域に時折行われる野焼き[bru[曲アクサン]lis]を除き、これらの土地の取得を実体化するものは何もないが、一方で、一つの場所は、その構造とその周辺を物質的に改変することによって取得される(Moles, 1992)(*)。この牧草地は、争点の中心である。漁民は、川から得られる資源だけでは生活できなくなってからよれ多くの耕作地を望むようになっており、群をもはや所有しなくなった島の住民の一部も同様である。島の土地の所有者である農牧者は、放牧領域を減少させて二つの共同体の間の紛争を重大化させることになる耕作地の拡大を望んでいない。</p><br />
<p>漁農民は、この島を放牧領域だとは考えらおらず、潜在的に利用可能な耕地だ見なしている。島の浸水して改良可能な土地は、この放牧領域に農地としての大きな可能性を可能性を見いだしている近村の住民たちの渇望をも引きつけている。右岸のBe[鋭アクサン]nin人も、日の島の豊かな土地を渇望している。それが、彼らがこの島に種まきに来ている理由であり、争いを再燃させている。</p><br />
<p>場所[の使途]が特化していることは、農業と飼育の間での空間の競争を緩和しているが、農牧民についてはそれほどそうではない。浸水地帯と島状砂質高地との自然的な分化は、場所の特化をもたらしている。前者は放牧のためのものであり、後者は農業のためのものである。一方で、このような土地の二分化は固定的なものではない。これは、人口の増大とその帰結、耕地に対する必要の拡大、川のあり方の変化と増水の弱化による耕作地の拡大、に従って動的である。</p><br />
<p>この体制は、とりわけ牧草地と耕作地の過剰使用によって、ますます困難に直面している。この島に大きな群がいることは、牧草地の消耗と劣化を引き起こしている。この状況は、飼育者の一部にBe[鋭アクサン]ninに移牧に行くことを余儀なくさせている。土地の過剰使用は、大量の糞肥の投入にもかかわらず、収穫を減少させている。</p><br />
<hr><br />
<p>(*)Moles A., 1992- Vers une psycho-ge[鋭アクサン]ographie. In: Bailly A., Ferras R. et Pumain D., dir.- Encyclope[鋭アクサン]die de la ge[鋭アクサン]ographie. Paris: Economica, p. 159-188</p>]]>
    </description>
    <category>未選択</category>
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    <pubDate>Tue, 26 Jul 2011 13:29:21 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>Harouna Mounkaila『Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島』4</title>
    <description>
    <![CDATA[<p>Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島の羊飼いの移牧によって通過される空間は、三つの極を持っている。この空間は、そこを中心として移動の周期が組織される基準点を構成する放牧領域に対応する主要な極を拠り所としている。移動の経路は、大まかに二つの方向を結びつけたものである。一つの方向は、南の、Be[鋭アクサン]ninとNigerの間の国境を越えるものであり、一つは北の、Dosso地方の高原に至るものである。動物の移動は、三つの放牧領域の中で、飼料となる植物と作物の周期に従う。これらは、雨の季節的周期、川の二つの増水期に結びついている。Dosso地方への移牧に際しては、羊飼いたちは通常家族と共に移動するが、Be[鋭アクサン]ninへの移牧に際しては、彼らは家族を島に残す。Be[鋭アクサン]nin滞在の危険が、移牧慣行におけるこのような違いを説明する。</p><br />
<p>[表3: 7~9月、11~3月の放牧領域は、Bara, Mai[トレマ]kada, Zamtouri Bangou, Fakara Be[鋭アクサン]ri周辺、5~7月の放牧領域はLe[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島の南東端から南に20kmの地点、3~7月と10~11月の放牧領域は、Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島内部。]</p><br />
<p>Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島は、島の羊飼いにとって、家族の一部が残り、とてもわずかの動物を残していく、主要な繋がりの地となっている。これは、特に乳牛についてである。しかしながら、移牧の異なる経路についての諸制約を考慮に入れ、群と共に島に残って、一時的に川の土手を占拠するものも相当数いる。島は、であるから放牧の主要な領域となっている。移牧のために川を見下ろすNiger側の高原やDosso地方に発った飼育者たちは、収穫の後の9月末から、農作物の残余からなる乾期の飼料の利を得るためのgne[鋭アクサン]le[鋭アクサン]のために戻ってくる。</p><br />
<p>彼らはそれから、水が引く時期に島に戻ってくる前に、川の左岸の畑でgne[鋭アクサン]le[鋭アクサン]をする。</p><br />
<p>3月以降、増水した水は次第に引いていき、草性植物が浸水地帯を覆って、飼料となる草が大量に得られるようになり、Be[鋭アクサン]ninやNigerの一部地域からの飼育者も引きつけるようになる。増水が大きければ大きいほど、放牧地は豊富になる。雨期が来る前には、この過剰に利用された地は動物の食料として必要な飼料を満たさないまでになる。この状況は、飼育者に、5月以降、Nigerの国境を越え、Be[鋭アクサン]nin北部に動物を連れて行くことを余儀なくさせる。彼らは、最初の草取りが始るまで島に戻らず、しかもごくわずかの時間しか留まらない。実際、この短い帰還の後、彼らはDossoやGayaの高原の内部深くまで移牧を続ける。</p><br />
<p>二つの主要な理由が、高原における移動の動機となる。7月以降の雨に伴う水位の上昇が、小河床のすぐ近くにある放牧地を浸水させ、放牧領域を減少させる。一方で砂質高地が耕作されるようになり、島内における動物の移動を制限するようになる結果、多くの飼育者がこれらの高原に放牧地を求めることを余儀なくされる。移牧の主要な目的は、年間を通じて動物に緑の牧草を与えることであった。この二つの基本的な理由に、この時期の高原において飼料を手に入れることが出来ると言うことと結びついたもう一つが加わる。</p><br />
<p>一方で、最近では、巡回を妨げる障害により、ほとんどの飼育者は国境の向こう側での移牧をしない。実際、Be[鋭アクサン]ninとNigerとの関係の情勢に結びついたものや、獅子による動物への攻撃などが、一部の飼育者に国境の反対側で移牧をする気を無くさせている。放牧に対して各動物ごとに税が事前徴収されること、罰金、Be[鋭アクサン]ninの森の民による動物殺しなどを避けるため、多くの飼育者がこの移牧経路を放棄している。</p><br />
<p>雨期の間のZigui高原(*原注4)への移動は、牧草地の劣化、水飲み場の不足、耕作地の拡大という障害を受ける。実際、耕作地の拡大は縮小された牧畜領域を損なう。</p><br />
<p>移牧に対する相対的な制約は、季節的な牧畜移動を変化させる。島のますます多くの飼育者が、移牧経路をもはや取らなくなっている。</p><br />
<p>(*原注4)1960年6月の29日から30日の夜、Niger川の右岸のBe[鋭アクサン]ninの攻撃者がLe[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島の住民を攻撃、4人を死亡させ、うち村長は、47件の自発的な放火の中で生きながら焼かれた。[注が挿入されている位置は適切ではないと思われるが、原文のままとしておく。]</p>]]>
    </description>
    <category>未選択</category>
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    <pubDate>Fri, 15 Jul 2011 13:57:03 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>Harouna Mounkaila『Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島』3</title>
    <description>
    <![CDATA[<p>Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島における農業と牧業の緊密な結びつきは、様々な水準で見られる。休耕地もなく作付面積の拡大も不可能な中での農地の過剰使用が行われているため、動物の糞肥の投入は決定的である。であるから、粟の栽培に使われる土地の施肥のために牧業が繰り返し要請される。このために収穫高の減少は最低限に抑えられ、ほとんど同じ収量が維持されるぐらいになる。この施肥方法は、経営単位の動物の放牧により最も頻繁に行われる。糞肥の生産は、動物の頭数と飼料資源と[を変数とする]関数である。</p><br />
<p>本質的に牧業に向いているこの島は、水が引き、自然的に彼らのためのものである地面が減少する時期には、多くの群が出会う場所となり、重要な群、特に牛の避難所となる。</p><br />
<p>経営単位の動物の頭数が家族の畑への施肥のために足らないときには、家長は、両親や、島に滞在している他の飼育者の援助を求める。この場合、畑の持ち主が飼育者に飼料を提供する伝統的な契約と異なり、感謝の代わりにkolaの木の実の簡単な贈り物で十分である。飼育者によるほとんど無償のこの奉仕は、この島の住民と外部から来る羊飼いとの間の絆の枠組みに刻み込まれている。</p><br />
<p>住民にとって必要な食料を満たすために農業生産が十分でないことは、必要な栄養を補完するために、彼らに動物とその産物、とりわけ乳を売ることを余儀なくさせる。粟の栽培のための土地が少ないことと、耕地を拡大することが不可能なため、農業生産は住民の年間の必要を満たさない。そのため、牧業が農業に対する助けとなる。幾人かの農牧者だけが、とりわけ大きな農地を持っている者だけが、毎年家族の栄養的必要を満たすだけのものを生産することが出来る。</p><br />
<p>しかし、農業と牧業を営むことに幾つもの有益さがあるとはいえ、幾つかの不都合も存在する。動物が耕地に与える損害に加え、二つの活動の間の空間の競合も強調する必要がある。浸水地帯の周辺においては、耕地の全域にわたって農耕地の牧畜地への浸食が生じている。もう一つの不都合さは、経営単位における労働力の運用に関してである。これは、農業活動[にかける時間]のいくらかを群を率いるとこに割り当てることで行われる。しかし、この戦略は、家族の労働力が十分でないため、しばしば限界を招く。幾つかの経営体の長は、草取りに際し、この不足を補うために、賃金労働者か共同体の仕事の助けを借りる。</p><br />
<p>糞肥をもたらすことに加えて、飼育を行うことは農業に対する担保になる。それは、必需品を購入するための資源をもたらし、農業生産の不足を補う。動物を売って得た金もまた、雑草が耕地に侵入しないための草取りの資金源になる。</p>]]>
    </description>
    <category>未選択</category>
    <link>https://otakurounin.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/harouna%20mounkaila%E3%80%8Ele-%E9%8B%AD%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3-te-%E9%8B%AD%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3-%E5%B3%B6%E3%80%8F3</link>
    <pubDate>Tue, 12 Jul 2011 13:38:52 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>Harouna Mounkaila『Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島』2</title>
    <description>
    <![CDATA[<p>砂質高地は粟の栽培に向けられたものとなっており、浸水地帯の重い土と対比される。浸水地帯、とりわけ窪地と周辺地帯においては、土壌は表面からgleyまでの緑灰色や緑黒色の水様形態[hydromorph]である。この浸水地帯のごくわずかな部分、とりわけ砂質地の周辺、その中間地帯とKoroa, Dje[鋭アクサン]yori, Issa Kwaraの周辺においてのみ、玉蜀黍・モロコシ・米が栽培されている。</p><br />
<p>最近二年間の増水によって引き起こされた浸水は、栽培作物の生産に大きな影響を及ぼし、この空間における農業を運任せのものとした。</p><br />
<p>Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島には多くの一時性の沼が散りばめられており、その前進的な干上がりは、喚起の終わりにおいて豊富な緑の牧草地を提供する。同じ時期に、これらの沼地は、特にKoroaの住民にとって、haoussa語でrigia n'kiffi(文字通りには「魚の井戸」)と呼ばれる溝で魚を捕らえることを可能にする。この溝は直径3m、深さ1mであり、沼地の中の窪みとなっていて、水が引く際に魚を閉じ込めるものとなっている。</p><br />
<p>Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島の自然的な潜在能力は、浸水地の重要性となっても現れる。浸水地帯は、とても密度の高い湿気を好む植生がある。相当遅くなってから水が引く水路の中のEchinocloa pyramidalis, Echinocloa stagnitaなどである。島状の砂質高地には、しばしばここあそこに幾つかの木(とりわけAndansonia digitata(baobab)、Butyrospermum parkii(karite[鋭アクサン])、Piliostigma reticulatum(zarma語でkossey))を伴って自然植生の本質的なものを構成するro[曲アクサン]niers(Borassus aethiopium)の繁殖がある</p><br />
<p>この地域は、soudano-sahe[鋭アクサン]lienの型の気候である。雨期(この地域では、Nigerの他の地域以上に雨期が長い)の長さは、ここを、nigerで最も多湿な地帯とする。1968~1997年の平均降雨量は、Gayaの観測所において、788.4mmであった(全国気象局)。</p><br />
<p>Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島は、であるから、農業と牧業に好適な条件を提供する。このような立地と結びついた自然特性を持っていることは、Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島をもNiger領のNiger川全体の中でも特異なものとしている。</p>]]>
    </description>
    <category>未選択</category>
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    <pubDate>Sun, 10 Jul 2011 13:41:06 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>Harouna Mounkaila『Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島』1</title>
    <description>
    <![CDATA[<cite>Harouna Mounkaila, <i>Espace frontalier et appropriations territoriales: jeux et enjeux de l'i[曲アクサン]le de Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン](Niger),</i>in: Les Cahiers d'Outre-Mer, vol.63, n[上付きの○]249, 2010, Janvier-Mars<cite><br />
<p>Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島は、Be[鋭アクサン]ninとNigerとの間の国境の川の上、北緯12度04分から13分の間、東経3度07分から13分の間に位置する。面積は約30km^2、北西-東南方向に伸び、周囲は約16km、最大幅は4km、標高は150~166mである。</p><br />
<p>島には、2000年現在、約2000人の住民がおり、人口密度は67人/km^2である。この島の最初の住民は、19世紀の末にやってきたPeul人である([Esperet, 1917])。彼らの定住は、現地における飼料資源の手に入れやすさの重要性に規定された。当初は専ら飼育者であった彼らは、砂質高地[島の中で盛り上がった、浸水しない島状に点在する地帯]において農耕を採用した。後になって、Niger川左岸のAlbarkai[トレマ]ze[鋭アクサン]から来た専門的な漁民であるHaoussa族がこれに加わった。乾燥、降雨の不規則性、Niger川が泥で埋まり堤防が出来たこと、などは、次第に、この漁民共同体に住居のすぐ近くで濃厚も営むことを余儀なくさせた。</p><br />
<p>Peuls人が来る前にこの島への定住がなぜ行われなかったのかについてはいくつもの仮説が提示可能である。その第一として、川の両岸に住んでいた農耕者は、その当時、[農業を行うには]制約の多いこの島に定住する差し迫った必要性を感じていなかったのではないかということがある。ここが島であることは、第一に、7月から「白い水」(zarma語でkoi[トレマ]rey)まで、そして二番目に12月から「黒い水」(zarma語でhari bi)までの増水期における人々の移動の問題となって現れている。実際、増水期には、砂質高地だけが水に浸されず、人々に船での移動を余儀なくさせる本当の島々を構成する。</p><br />
<p>続いて、農地、とりわけ粟の大規模栽培に適したそれが取るに足らない[ほど少ない]ということがある。同じく、川の両岸に住む人々の砂質土壌における粟の栽培の伝統と、水の制御の問題がある。</p><br />
<p>人々は、島の上流部、haoussa語でtoudouと呼ばれるいくつかの砂質高地の島々が存在する部分に集中している。この島における三つの主要な居住地が存在するのは、このtoudouにおいてである。つまり、Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]と、KoroaとDjayoriの小集落である。</p><br />
<p>これらの固定居住地に加えて、その場所の変化の頻繁さが特徴的な幾つかの宿営地がある。このうちのあるものでは、羊飼いたちが、彼らの畑に堆肥を蒔く目的だけではなく、浸水する地帯(haoussa語でfodamaと呼ばれる)から逃れるためにも、乾期を過ごす。一方、下流部では入植は線的である。これは、川の土手(zarma語でdjabouと呼ばれる)に沿った、幾つもの宿営が連なった二つの不連続な線となっているが、とりわけ細い方の支流[Niger川の、Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島の北東部を流れる部分、Mayel youna。島の南西を流れる方は太い方の支流(Mayo Mallal Maddi)の方に出現している。浸水地帯に出現するこれらの宿営地は、toudouにおけるそれと同様に、非常に移動的である。</p><br />
<p>彼らの移動性は、農耕における動物の損害を避けるために雨期には砂質高地)を空ける農牧者の心配によるものである。幾つかの年においては、川の増水が甚だしく、彼らに宿営地[での滞在]を切り上げ、toudouに戻るか、或いは川の左岸で移牧をするかを余儀なくさせた。これらの宿営地は、雨期が近くならなければ土手の上に現れず、収穫の後には放棄される。</p><br />
<p>このような農牧形態は、住居に極めて短い期間の、(雨期には人々が川の左岸の耕地のために放棄するBoutougouとFongokoliを別として)大抵は島内に限定された季節的な移動を課している。</p><br />
<p>下流部は飼育のために排他的に保留されており、更には、川の増水が年間を通じて居住することを妨げている。同様に、雨の穀物を栽培することも不可能となっている。(*原注2)入植網は、滅多に1kmに達しない空白によって隔てられている。</p><br />
<hr><br />
<p>(*原注2)この部分、とりわけ直径	20mの高地地区であるBe[鋭アクサン]foにおいて、Be[鋭アクサン]nin人が2001年2月以降建物の建設を始めた。</p><br />
<p>Esperet, 1917 - <i>Monografie de la subdivision de Gaya.<i> Archive National du Niger: Niamey, 64p</p>]]>
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    <category>未選択</category>
    <link>https://otakurounin.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/harouna%20mounkaila%E3%80%8Ele-%E9%8B%AD%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3-te-%E9%8B%AD%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3-%E5%B3%B6%E3%80%8F1</link>
    <pubDate>Sat, 09 Jul 2011 13:39:43 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>Olivier Ninot「DakarにおけるTabaskiの羊の供給」8</title>
    <description>
    <![CDATA[<p>Tabaskiの羊の取引の地理は、生産地盆地とDahraやBirkelaneのような消費市場との間を結ぶ本格的な装置、ないしは「ハブ」である幾つかの大きな中心、ないしは高所の周りに組織されている。一つともう一つの間の距離は数kmであり、KhomboleとTouba Toulは、Tabaskiの羊の取引についての他の二つの重要な市場である。これらは、時には補完的であるが、とりわけ競争的である。この二カ所は、Dakarへの距離の近さ、そして首都へ向かう日常的な交通網の恩恵を受けている。一つには、これらの周辺の農村地が、都市の中心へは向かうことの出来ない巨大な羊の群の貯蔵地となっているということがある。もう一つには、この二カ所は、大中心都市に最も近接した農村市場の一部となっている。この点において、これらは都市の消費者にとっての一種の周辺販売所となっている。</p><br />
<p>Touba Toulの市場は、Se[鋭アクサン]ne[鋭アクサン]galのこの地方における持つとも古いものの一つである。(*)	しかし、これは、ここ数十年で新たな次元を獲得した。一つには、ここ十年間で税が継続的に軽減された。食堂[cantine]の月当たりの価格が2500~4000Fcfaの場所で、市場で日々行商人(baana-baana)から事前徴収される額が100Fcfa、荷車ごとに100Fcfa、売られた動物一頭ごとに100Fcfaである。加えて、全国的な農村社会基盤投資の支援のもと、最近約200の食堂が建設された。事前徴収される税は、毎年300万cfaフランの収入をTouba Toulの農村自治体にもたらしている。それは、[Touba Toulにとって]主要な収入であり、真性の収入のほぼ全てである。市はそこでは毎週開かれており、Tabaskiだけが行われているわけではない。Tabaskiが市の拡大に寄与し、動物取引の投機について年の他の時期よりも大きなものをもたらしているにせよである。</p><br />
<p>反対に、Khomboleでは、Tabaskiの準備の時期を除いて市は立てられていないが、2000年以降、この地はMauritanieの飼育者が「平和に」(*原注18)Tabaskiの羊を売りに来ることが出来る場所であるという評判を作り上げた。この地は、とりわけ牧草を食べることから帰った群が道の両側の可能な場所全て、村いっぱいの長さに渡って占領する夕方には、非常に印象的な場所となった。一方で、この市場はKhomboleの共同体とは無関係である。市長は政府が取った決定に従い、Tabaskiの期間中、動物の売り上げに対しても、行商に対しても、全く税を課していない。人々が市庁に対して自発的に認めるところでは、この制作を尊重することは容易であり、また正当なことである。なぜなら、市場に対する投資は全く行われていないからである。食堂もなく、水[水飲み場か、或いは水道か]もなく、電気もなく、整備された道の駅もない。</p><br />
<p>ここ数年間、Tabaskiは12月から2月の間に来ている。この時期は、収穫は終わっているが、端境期にはまだ遠い。この時期、農地は、Tabaskiで売るための小反芻動物の受け入れに好都合な枠組みを提供している。</p><br />
<hr><br />
<p>(*)Van Chi Bonnardel R.N., Vie de relation au Se[鋭アクサン]ne[鋭アクサン]gal, la circulation des biens., <i>IFAN</i>, Dakar, 1976</p><br />
<p>(*原注18)Se[鋭アクサン]ne[鋭アクサン]gal領のMauritanie人に対する暴力(続いてMauritanie領内のSe[鋭アクサン]ne[鋭アクサン]gal人に対する暴力)から始った1989年と1991年のSe[鋭アクサン]ne[鋭アクサン]gal-Mauritanie間における紛争の記憶は、皆の心に残っており、今日でも、両者の間に恐怖や敵意を感じ取ることが出来る。</p>]]>
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    <category>未選択</category>
    <link>https://otakurounin.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/olivier%20ninot%E3%80%8Cdakar%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8Btabaski%E3%81%AE%E7%BE%8A%E3%81%AE%E4%BE%9B%E7%B5%A6%E3%80%8D8</link>
    <pubDate>Thu, 07 Jul 2011 11:09:04 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>Olivier Ninot「DakarにおけるTabaskiの羊の供給」7</title>
    <description>
    <![CDATA[<p>Tabaskiの羊の取引に際して、集荷市場、ないしは第一市場は、農村における週ごとの市や、内陸の中小都市における縁日である。集荷の一部はこれらの週ごとの市や縁日の外で行われる。しばしば、dioulaが直接に村の飼育者のもとを訪れて購入について交渉する。これらの商業化の最初の場所から、羊は時には歩いて、しばしば車(拾い乗せ車か小型トラック)で、より重要な市場、時には消費の中心地まで運ばれる。再集団化市場、ないしは中間市場では、そこまで商人や飼育者によって連れてこられた羊が大きな群を作り直す。彼らが出会うのは、最も大きな市場、例えば、全季節を通じてSe[鋭アクサン]ne[鋭アクサン]galで最も大きな家畜市場であるDahraか、地域規模の大市場であるがTabaskiの羊に関しては中心的なBirkelaneである。これらの市場は、生産市場地域と最終的な都市の消費市場との間にあり、選別と乗り換えが行われる場所である。Birkelane, Kaffrine, Tambacounda, Khombole、Touba Toulなどの市場の周りでは、市場により良い形で現れる前に、しばしば数週間にわたって群が牧草を食べている。</p><br />
<p>これらの地理的な構成の中で、Se[鋭アクサン]ne[鋭アクサン]gal南部は顕著に欠落している。Tabaskiはそこでも同様に祝われており(*原注15)、上Casamanceには、ANSDによれば、30万頭の羊がいる。一つには、南Se[鋭アクサン]ne[鋭アクサン]galの孤立をもたらしている領土的な構成の中で、Gambie回廊(*原注16)は部分的な救済にしかなっていない。もう一つには、南部で飼育されている品種は、Tabaskiではあまり好まれないdjallonke[鋭アクサン]種であるということがある。</p><br />
<p>Pikine-Sotibaの小反芻動物集積地は、Dakar地方への供給の十分な代表となっている。多くの動物は、河谷と森林牧草地(おおむねFerlo)からなる盆地からやってきており、供給の47%になる。MaliとMauritanieからの供給は、36%になる。[表1に、Pikine-Sotobaの市の羊の来所別の頭数と割合が掲げられている。(原拠DIREL)それによると、Maliからは2万9772頭(29.27%)、Mauritanieからは6724頭(6.61%)。]Maliからの羊には、実際にはMauritanieからKayesで積み替えられてやってくる羊がかなり含まれている可能性がある。</p><br />
<p>集荷市場まで、そしてしばしば中間市場までの移動に際しても、歩かせることが、最もよくとられる方法である。列車は、MaliとMauritanieの商人によって特権的に用いられる方法である。彼らは、Se[鋭アクサン]ne[鋭アクサン]gal川を渡って徒歩でDahraへ、そしてそこから更に南に向かうよりも、Maliの国境を越えてKayesで集合し、そこから列車に乗り、或いはトラックに乗る東回りの経路を好む。2000年以降、Mauritanieの飼育者が、以前そうしていたように、Korite(*原注17)を過ぎるとすぐに(Tabaskiの二ヶ月から10週前)、群を徒歩で連れてくることはなくなった。DIRELによって税関で取得された数字は、2008年についてこの印象を確認する。Saint-Louisの税関を通過したのは8.5%、Matamのそれは14.2%、Tambacoundaのそれは14.2%である。列車は、遅く、国境以外にも主要駅で群に餌を遣り水を飲ませるために何度も停止するが、それでも確実で大量輸送を可能にするものである。道路輸送については、Se[鋭アクサン]ne[鋭アクサン]gal内部であらゆる遠征が行われる。[輸送]価格は、Tabaskiの期間中は高騰し、例えば、Kayesからは15万Fcfaないしは37万5000Fcfa、DahraないしはLingue[重アクサン]reからは14万2000Fcfaないし27万5000Fcfaである。</p><br />
<hr><br />
<p>(*原注15)下Casamanceでは、人口の25%以下が基督教徒、Casamance全体(KoldaとZiguinchor地方)では15%以下、Se[鋭アクサン]ne[鋭アクサン]gal全体では5%以下。</p><br />
<p>(*原注16)Gambieの領土を通っての南部と北部の間の通行を認めているSe[鋭アクサン]ne[鋭アクサン]gal・Gambie間の合意。</p><br />
<p>(*原注17)断食月の終わりを祝うAi[トレマ]d el Fitr</p>]]>
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    <pubDate>Wed, 06 Jul 2011 11:11:01 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>Olivier Ninot「DakarにおけるTabaskiの羊の供給」6</title>
    <description>
    <![CDATA[<p>Tabaskiについては、動物の流入についての規制、市場の長の間の協議などは存在しない。各自は、自らの利益と市場経験によって動いている。彼らが、とりわけ電話を通じて価格や在庫についてやりとりするにせよ、命令が伝達されることはない。Pikine-Sotibaの市のte[鋭アクサン]fanke[鋭アクサン](*原注13)は、Dakarへの供給についての原則をこう述べた。「多くやってくれば来るほどよい。」</p><br />
<p>祭りは、まずは専門家にとっての事業である。飼育者にとっては、輸送・見張り・餌等にかかる費用を少なくするため、自身の空間に属する市場で一度に動物を売ってしまった方がいい。このために、Dahra, Birkelane, Tambacoundaなどの市場で、群の最も大きく美しい動物数十頭が一度に売られる。商人によって取られている戦略の一つは、まだ動物の価格が安い時期に前もって群を構成し、利鞘を最大化することである。そうすると、群は羊飼いに預けねばならず、費用がかかる上に失う危険もなしとはしない。一方また、多くの商人がTabaskiの活動を始めるのは祭りのわずか数週間前である。購入と販売の場所の選択は特に戦略的である。</p><br />
<p>だが、Tabaski経済の独自性は、飼育の専門家ではない人々の参加にある。皆が自分のあり方を持っており、飼育者にとっても、購入者にとっても、Tabaskiの活動は一つではなく、多様にある。</p><br />
<p>「専門外」の活動者には、大きく分けて二つの集団がある。一つは、大部分都市の住民、特に公務員・元公務員・退職幹部から構成されるものである。この活動者の範疇の中には、しばしば飼育について全く門外漢である非Peulsが見いだされる。彼らにとってTabaskiとは単純な購入(場合によってはつけによる)、ないしは多少の利益のための転売であるか、或いは、数ヶ月間にわたって獣を太らせるという本格的な肥育である。もう一つの集団は経済利益集団と協会であり、その多くは女性組織である。これらの団体はTabaskiの活動に大規模(数十頭にまでなる)に融資し、企業の委員会がやるように一種の購入中心を設ける。共通する動機は投機であり、綿・玉蜀黍・落花生などが、収穫直後に低価格で購入され、端境期に高価格で転売されているのと同様のものである。</p><br />
<hr><br />
<p>(*原注13)te[鋭アクサン]fanke[鋭アクサン]は、獣を探すこと、見張り・輸送その他の問題の遣り繰り、売り主への宿泊の提供、(特に掛け売りに際し)取引の保証をして双方が誠実であることをうけあうなどして売り主を助ける一種の仲買人である。</p>]]>
    </description>
    <category>未選択</category>
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    <pubDate>Tue, 05 Jul 2011 10:58:34 GMT</pubDate>
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