忍者ブログ
ダメ人間のオタク浪人のブログ・9つ目。
[55]  [54]  [53]  [52]  [51]  [50
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島には、雨期には農業労働者がやってくる。彼らは、粟とモロコシの草取りに従事する。これらの農業賃労働者を雇うことは、家族の労働力の不足を補い、彼らの一部をさいて群の見張りをさせ、または移牧の間群を率いさせることを可能にする。


であるから、特にモロコシの栽培地に関しては、犂を使うような投資も行われる。住民の多くは、モロコシの畑に種を蒔くに際して、このような耕作法に頼る。だが、畑が小さいために、これらの農牧者たちは、その費用が数頭の獣を売ることを必要とすることになってもこれらの労働力を利用する。これらの労働力は、Dosso、Boboye地方、そしてZarmagandaからも来る。


島はまた、Niger川の西とBe[鋭アクサン]ninから来る羊飼いたちにとっての放牧領域ともなる。これらの飼育者たちの島での滞在は数ヶ月続く。


Le[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島の住民にとって、peul語でMayo Mallal Maddi、zarma語でIssa Be[鋭アクサン]ri(大きな川)と呼ばれる太い方の支流は、Be[鋭アクサン]ninとNigerの間の国境となっている。植民地時代から、島の住民には、この支流を渡るとBe[鋭アクサン]nin人の領域であるという意識があった。現地の意味体系では、この太い方の支流は、zarma語でIssa Kai[トレマ]na(小さな川)ないしはpeul語でMayel Younaと名付けられ、Ouna村の側を通っている細い方の支流と区別されている。


彼らの自由な移動を妨げている問題も、この観念を補強している。実際、国境についての緊張の時期の間、島の住民は、川の右岸の村や市場を訪れた際、あらゆる種類の報復を受けた。Karimamaの市場を訪れた住民たちは、丸木舟を下りるやいなや憲兵から金を要求された。羊飼いたちは、より多くの放牧税を支払わされ、多額の罰金・監視・動物殺し・肉体的な損害など、あらゆる種類の侮辱を受けた。これが、紛争の時期には彼らが滅多に国境を越えなかった理由である。この場所が使えなかった間、彼らはNiger側、しばしばounaの市場に向かった。国境紛争は、島とNigerに対する強い帰属意識を伴った。島の住民たちは、島に翻り、この空間の主権と権威を示すNigerの旗を降ろすことを拒んで、Be[鋭アクサン]ninの憲兵の策謀を退けた。彼らはまた何度も右岸のBe[鋭アクサン]nin人が島に植えた種を取り沿い他。また、Be[鋭アクサン]ninの医師団によるワクチン接種を拒んだ。1960年の悲劇的な出来事も、島の住民の帰属意識を明らかにした。一方で、彼らはBe[鋭アクサン]nin人の羊飼いがこの島に移牧に来ることを決して拒みはしなかった。




オタク浪人がGoogleEarthで見たところ、このLe[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島は、ほぼ完全に砂州のように見える。Niger川はここに限らず全体的に川の蛇行によって生じた三日月湖が多いのだが、この島の内部にも河道ないしはその跡と見られる部分があり、全体を一つの島と見ることも前提知識がなければ難しく、本文記載の位置情報によって確認したのでなければ、ここをLe[鋭アクサン]te[鋭アクサン]島と同定するのも難しかったろう。一見したところ植生があるようにも見えず、限界近くまで拡大して始めて、本文に記されている砂質高地上に、樹木がいくらかと住居らしき構造物があるのが確認できた。もっとも、河道跡が見える部分(ここがおそらく本文で言う浸水地帯)が黒く見えるのは、或いは草が生えているからかもしれない。

PR
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
アクセス解析
忍者ブログ [PR]