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ダメ人間のオタク浪人のブログ・9つ目。
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このような一種病的な潔癖性は、もともと根拠がないものだからか、環境が変わると簡単に消えてしまうことも多いようです。


オタク浪人は、高校に入った時、高校の先輩や同級生が堂々と学校の便所で大便をして、更には大便をしたことを自慢話にしたりしているのを見て、びっくりしました。


小中学校の頃は、みんな、学校の便所で大便をすることは極力避け、やむを得ずすることがあっても、そのことは極力秘するようにしていました。


これは、明らかに体には悪いことですから、教師は繰り返し学校で大便することを羞じたり、あるいは人が大便したのをからかったりしないようにと注意していたのですが、全く効果はありませんでした。


それが、高校に入った途端、みんな(特に運動部の部員は)むしろ大便自慢をするようになったのです。


これは、一つには、部活が夜遅くまであるため学校にいる時間が長くなり、どうしても大便を学校でせざるをないとか、部活で猛練習するためには食べる必要があり、そうするとどうしても出るものは出るという事情もあったでしょう。


しかし、より根本的には、中学と高校が、松江と東京ほどの大きな違いはないものの、やはり別の文化圏だったということの方が大きいように思います。


小中学校においては、勉強や部活において高い成績を収めているということは、評価されることではありませんでした。


それどころか、反対に、特に小学校においては、勉強が出来る子(つまりオタク浪人など)は、教師からも同級生からも攻撃の対象となっていました。


その代わりに、小中学校の生徒特有の、一種独特の行動様式を洗練された形で身に付けていることだけが、小中学校で尊敬を得る唯一の基準でした。


これは、一方では生徒会・部活の役員の持つ絶対的な責任感・集団行動の規律を生み出すなど、いい面もあったのですが、どうでもいい細かいこと(髪型とか、制服の着こなしとか)にこだわり、本質的なこと(学問)を置いていたという負の側面も多分にありました。


それが、高校に入ると、中学までとは打って変わって部活・勉強の成績が唯一の評価基準となり、中学までのような、細かい人間関係を結ぶ能力は評価の対象ではなくなってきます。そして、中学では最も重きを置かれていた、クラス役員・生徒会役員を務めることも、高校ではほとんど見向きもされなくなります。


同じ制服を着ているので、大人から見れば同じように見えるかも知れませんが、中学と高校の間にはこのように激しい断絶があったのです。


実際、これは根本的と言うほど大きな溝です。行動原理が、集団主義から個人主義に完全に変わっているのですから。


もっとも、個人主義と言っても、松江北高のものは、あくまでも個人の努力による勉強と部活における成績が第一に評価されるということにとどまるものであり、個人の私的経済的利益の獲得が評価基準となる東京のそれとはまた根本的に異なっていたのですが。


ともあれ、学校で大便をしないということも、上で述べた、小中学生が持っていた、その中で尊敬を得るためにはそれを洗練された形で遂行せねばならない「独特の行動様式」の一つであり、高校に入って、そのような集団的行動様式の価値自体が崩壊してしまうと、意味を持たなくなってしまうのも当然ということなのでしょう。

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