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ダメ人間のオタク浪人のブログ・9つ目。
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9月28日


今朝午前5:30頃のことであるが、ベランダで目の前に鳩が糞を落としていった。


手すりの上に板を載せてその上で絵を描いていたのだが、まさにその上に糞がかかったのである。


ちょうど紙の上に落ちたから板自体は汚れずに済んだのは不幸中の幸いというべきかもしれないが、書きかけのこの絵は捨てるしかない。


更に、ある意味運が良かったと言えるのは、これが個人的な絵を描いていた時のことで、預かった答案の採点をしている時で無かったことである。


現在も答案を預かっているのだが、昨日の時点で採点は終わっていたのでその時はもうこれを広げてはいなかった。


だが、今までこの場所で採点作業をしていたこともよくあった。


(もっとも、この場所を使うのは日の出日の入り前後の僅かな時間だけではあるのだが。)


もし、答案の上に糞がかかっていたらと思うとぞっとする。


その場合、生徒にはコピーした答案を返してもとの答案は廃棄するしかなかっただろう。


いずれにしても、非常にまずいことになるところだった。


以後、この場所で答案の採点をするのはやめることにしよう。


実のところ、これまでにも鳩が糞をしていくことはあった。


だが、人間が近くに来れば鳩は逃げるから(この点、信天翁とは違う)、紙を広げて作業をしている上に鳩が糞を落としていくことなど無いだろうと思っていたのである。


だが、それは甘かった。


オタク浪人の近く自体には鳩は寄らなくても、上の階から糞を落としていくということがあったわけである。


しかも、よくみてみると、ちょうどこの真上に二つ上の階の部屋のアンテナがある。


(ちなみに、オタク浪人はテレビは見ないので、アンテナは設置していない。)


どうやら、ここが鳩の溜まり場になってるようだ。


今までもちょうどこの場所で布団に糞がかかっていることが時々あったのは、こういうことだったらしい。


しかしこれは困った。


あそこにアンテナがある限り、鳩はあそこから糞をし続けるだろう。


考えられる対策としては、布団にビニールシートを被せるぐらいか。


実際、今回の糞は手元の紙の上に落ちただけでは済まず、布団にも大量の糞がかかったのである。


鳩の小さな体によくもあれだけの糞が入っているものだと感心するぐらいである。


なお、今まで便宜上これを糞と呼んできたが、正確に言えばあれは糞ではなく尿を固化したものらしい。


この点、糞であれば中には無数の菌が含まれているが、尿であれば膀胱内部は無菌状態のため、汚いものではないのかもしれない。


(尿を出した時に発する独特の臭いは、それまで無菌状態だった尿が突如として空気中の細菌と接触して発するものらしい。)


実際に、臭いをかいでみても臭くはない。


だが、見た感じはやはり糞そのものである。


実は、今まで鳩の糞というのは乾いた状態でしか見たことがなかったから、鳩の糞というのは随分白っぽいもののように思っていたのだが、いま放出されたばかりのそれを見ると、その大部分は黒褐色の土のような感じである。


実際に、このさくさくとした黒褐色の土のようなものはいかにも養分がありそうに見え、名高いウクライナの黒土もこのようなものかと思ったりする。


この点、捨てるのが勿体ないようにも感じられるのである。


そう言えば、南太平洋のどこかの島からは海鳥の糞が長い間に堆積して石のようになったものを肥料として切り出しているそうである。


肥料として売れるだけの養分が鳥の糞には詰まっているということだろう。


だが、そういうことを考えてもやはり目の前で手元に糞を落とされた衝撃というのは筆舌に尽くしがたいものがある。


服の袖にも糞のしぶきが飛び散ったし。


そういえば、宇治拾遺に、ある貴族のが鳥の糞をかけられたのを、安倍晴明が式神の仕業と見破って護持したという話があった。


(この話、少し前にうちの予備校で問題に出したのである。)


こういう話を思い出してみても、どうも鳥に糞をかけられるというのは気分の良くないものである。

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蕎麦粉の発酵についての追記


その後しばらくは、うまく発酵させられなかったり、あるいは発酵させすぎて酸っぱくなやってしまったりといろいろ経験したが、段々こつが摑めてきた。


まず、寝かせておく時期は半日余り程度が適当らしい。


最近は大体夜の九時頃にこねて、それを翌日の昼過ぎに焼いているが、大体これでちょうど良い感じになる。


最初のうちは一日半寝かせていたのだが、こうすると、フライパンの蓋に集まる蒸留水がほとんど酢になってしまった。


もっとも、これには特に暑い時期だったという事情もあるのかもしれないが。


それから、生地を作る際には余り水を多くすると発酵しなくなるようだ。


もともと発酵させないで焼いていた時は、たっぷりの水でどろどろの生地にした方がフライパン全体に延ばしやいすからそうしていたのだが、発酵させるためにはむしろ生地が固まりの形を保つ程度に水を少なくしておいた方がいいらしい。


なお、温度は、最近は朝晩は肌寒くなり、最高気温も30度を超えないようになってきているが、それでも発酵はできている。


真夏でなければ発酵させることはできないというわけでもないようだ。


このようにして段々と発酵させるためのこつが分かってはきたのではあるが、それでもふっくらと発酵させることが出来る時とそうでない時はある。


うまく発酵できていると、蓋を開けた瞬間からアルコール的な香りが鼻に飛び込み、焼くと更に香ばしい香りが漂う。


それでいて、蓋に溜まった蒸留された液体はあくまでも水であって、アルコールでも酢でもない。


そして、食べると美味しい。


発酵させないで焼いた蕎麦粉の生地は、それだけで美味しく食べられるというわけにはいかず、いつも干葡萄とともに食べていたのだが、発酵させてから焼いた生地はむしろ他の者を交えずにそれだけで食べたい存在である。


そして、発酵させてから食べた方が腹にいいことも二ヶ月程度食べ続けていると、はっきりしてきた。


これについても、最初に食べた時の感覚は気のせいではなかったのである。


ただ、いつもうまく完全に発酵させることが出来るわけではない。


発酵が最もうまくいくと、非常にふっくらとした焼き上がりになるのであるが、このように完全な状態となることはむしろ稀である。


全く発酵させずにすぐに生地を焼いた場合とは明らかに異なるが、さりとてそこまでふっくらとはならないということの方が多い。


粉と水の比率もいつも同じではないし、気温に至っては増して日々違うことが原因なのだろう。


(追記)


以上は九月上旬時点の最高気温が27~8℃程度だった頃のことであるが、最高気温が25度を下回るようになると、夜21時~翌日15時程度では十分に発酵しなくなってきた。


九月末の今の事典では、翌々日の午前5時頃まで、30時間以上おいてようやく十分な発酵が得られる。


以下は、発酵のこととはまた別の話。


少し前に、鉱泉水のペットボトルの中に蕎麦粉を入れてしまったことがあった。


ボトルの中に入れていたマグネシウム入りのカプセルを、水を注ぐ際に誤って粉の中に落としてしまい、粉が舂いたままのカプセルを新しいボトルに入れたのである。


そうすると、絵の具を溶かしたような状態になるかと思いきや、可視的な大きさを保った蕎麦粉の粒子が水の中に広がっている。


ボトルを動かさずに置いておくとそれらの粉は下の方に集まりがちにはなるが、完全に沈殿してしまうこともなく、漂い続けている。


そして、ボトルを動かすと、その粒子の動きによって中の水の動きがはっきりと分かって、非常に面白い。


以前筑波の環境研究所と我孫子の電力中央研究所外に行った時、どちらでだったか忘れたが、大きな水槽の中にアルミの小片を入れて水の動きを観察していたのを見たことがある。


規模は小さいものの、あれと同じ状態がペットボトルの中で生み出されている。


観察を続けていて分かったのは、ペットボトルを振った際の水の動きは、横の動きではなく縦の動きであるということである。


これは、ボトルを縦に振った場合だけでなく、横に振った場合においてもそうである。


水はボトルの中央部において底に向かって叩きつけられ、そこで跳ね返されて横の側壁に沿って上に舞い上がる。


これが、基本的な動きである。

7月19日


蕎麦粉の生地が自然発酵した。


蕎麦粉を練った物を、その日のうちに焼いて食べるつもりで用意していたのだが、風邪のために食欲が無く翌日になってから焼いた所、発酵していたのである。


生地の間にはやや層状の隙間ができてややぱさぱさした感じになり、ある意味黒パンやライ麦パンに近いような見た目と食感となっている。


そして、食べてみるとアルコール臭的なものを感じる。(それによってまずくなっているというのではなく、却って美味しく感じる。)


丸一日放置していたから、この季節のこと傷んでないかと心配していたのだが、こんなことになっているとは驚いた。


以前にイースト菌を使って小麦粉の生地を発酵させようとしたことがあったのだが、その時は発酵に失敗していたのである。


今にして思えば、冬だったから気温が低かったのが原因だろうか。


ともあれ、今回は、菌を入れてもいないのに自然発酵してしまったのである。


自然にそうなったのにも驚いたし、蕎麦粉でも発酵するのかと驚いた。


なお、食べてみての感想であるが、生地をすぐに焼いたものよりも腹にいい気がする。


この蕎麦生地を焼いたもの(適当な名前が思いつかない)は、食べていると異様に屁が臭くなったり、頻便気味(但し下痢ではない)になったりするのだが、発酵させたものを食べるとそのようなことがないように感じる。


もっとも、これについては一度だけでは断言出来ないので、今後も実験を重ねる必要がある。

『紐育時報』09年5月15日


五年間に渉る交渉の末、64ヶ国の代表は5月14日、船舶の解体の規制に合意した。


船舶を解体して鉄その他を廃棄罪として売却するための作業は、貧しい国、特に印度とバングラデシュの浜辺かその近くで行われている。両国とも、労働条件と環境対策を改善させると誓っているが、活動家達は、現在でも毎年多くの労働者が石綿・石油廃棄物・有毒塗料その他による海岸の汚染によって死亡したり障害を負ったりしている。


新しい合意、「安全で環境的に健全な船舶の再利用についての国際条約」は、全ての新しい船が、現役中を通じて解体に到るまで、使用されている有毒物質の一覧を備え付けておくことを要求している。条約はまた、労働者が広汎な保護装備を着用することも要求している。


しかし、浜辺での解体が禁止されていないなど、この条約の不十分さも指摘されている。

『紐育時報』09年5月15日


Texaco(2001年にChevronが買収)は、数十年前、石油掘削の際生じる廃棄物を穴に投棄していた。


テキサコ社が去ってからはもう随分になるが、エクアドル北部の数十の廃棄穴において、黒い液体が表土に浸み出している。


シェヴロンは、Lago Agrioの判事が行った決定に対する対応の準備を進めている。なお、Lago Agrioは、1960年代にテキサコがアマゾンでの基地としており、汚液が多い。元軍人であるこの判事Juan Nuñez氏の住民に対する同情は想像に難く無く、彼は今年もシェヴロン敗訴の判決をする可能性が高い。


しかし、彼の決定によってもこの裁判は終わりそうにない。既に、華盛頓では活発な陳情活動が行われており、シェヴロンのためにエクアドル政府に圧力をかけようとしている。シェヴロン側は敗訴すれば控訴し、必要とあらば国際仲裁を求める構えである。テキサコは1960年代にこの地に権益を持ち、1970年代の、エクアドルが未だに軍事政権下にあった時に石油の採掘を始めた。石油の採掘が始まる以前は、この地は、CofánやSiona-Secoyaなどを含む無理の部族によって居住されていた。


軍事政権と共同してのテキサコによる石油採掘には、常に政治的緊張がつきまとってきた。そして、テキサコが撤退を決めた1990年代には、土地の浄化が必要になっていた。そこで、テキサコはエクアドル政府と4000万弗の合意を行い、集中地区における油井と廃棄穴の一部の清掃を行うことによって、将来についての免責を得た。しかし、1990年代に行われた浄化は、満足にたるものからはほど遠いものであった。


エクアドルの村人達は、自分たちの病気が残された汚染物質によるものだとの確証を得、1993年に合衆国で提訴した。アメリカでの訴訟は、これが合衆国で行われるべきではないとの理由で却下されたが、原告は改めてエクアドルで提訴を行った。


現在では、テキサコはシェヴロンに吸収され、一方、エクアドルでは、左派Rafael Correa大統領の政権が成立している。大統領は繰り返し原告側に立ち、過去にシェヴロンがエクアドルで行ってきたことを、「人道に対する犯罪」と呼んでいる。


原告側は科学調査の結果を引用して、テキサコの廃棄穴から出たベンゼンを含む有毒な廃棄物が、数十年にわたって土壌・地下水・川を汚染したと主張している。地質学者であり法廷によって任命された専門家であるRichard Cobrera氏が作成した報告書では、この密林地帯において1400人(おそらくはもっと)が、石油汚染による癌で亡くなったと見積もっている。


シェヴロン側は、これに対して反論する。シェヴロン側は、Cobrera氏は、癌による死の補償のためだけに29億弗支払うべしとすることについてなんら医学上の証拠を持っていないと主張する。この訴訟の主要な争点は、環境浄化であって、癌による死ではない。だが、癌についても熱い議論が戦わされている。特に、カリフォルニアの裁判所が2007年に別の訴訟を斥けて以来はである。この事件において、裁判所は、原告である弁護士Christobar Bonifaz氏によって提出された証拠が虚偽あると理由で原告の主張を斥けた。Bonifaz氏は、1990年代のテキサコ社との闘争においては助力する所が大きかったが、現在は訴訟に関わっていない。


他のほとんど全ての点については争われているが、たった一つだけ一致点がある。それは、石油採掘の拡大が、北部エクアドルのかつての原生林を台無しにしたということである。40年以上経つと、Lago Agrio及び地域の他の町周辺の油井における汚染の証拠は避けようがない。テキサコによって掘られた幾つかの廃棄池は、有毒な掘削汚泥と原油の混合物を湛えて白日の下に晒されているが、そこからは近くの水系に汚液が浸み出している。


他の廃棄穴は、テキサコが表面上は浄化を行った後、エクアドルの国営石油会社Petroequadorに移譲したが、表面付近に種々の量の汚染物質があり、両陣営の科学者の間で、その正確な程度とその健康への影響が争われている。


ペトロエクアドルも、環境についての実績は芳しくなく、1990年代以降、少なくとも800以上の原油漏れについて批判を受けている。シェヴロン側は、ペトロエクアドルによる引き継ぎ以後に起こったことや、エクアドル政府による辺境密林入植計画に起因することには責任を持てないとしている。この植民計画は、1970年代に、テキサコが建設した道路を使って4万人以上の入植者をこの地域にて移住させるというものであった。


原告側は、テキサコが過去に操業していた場所における損害には、テキサコが責任を持つべきだと主張している。テキサコによって作られた一連の設備が、ペトロエクアドルによる汚染継続を可能にしたという論理によってである。原告側の弁護士Steven Donziger氏は、もしシェヴロン側がそれを問題とするのならば、シェヴロンがペトロエクアドルを訴えるべきであるという。


損害の潜在的な大きさにもかかわらず、シェヴロンはその支払能力に問題は無いと言っている。


エクアドルの司法長官は、昨年、シェヴロンの弁護士二人を、テキサコが廃棄穴の浄化を行ったと詐欺的に証明しようとしたとして起訴した。


シェヴロンは、産業弁護士と陳情家を動員して反撃しており、元合衆国通商代表Mickey Kantor氏や、クリントン政権下の公邸職員長だったMack McLarty氏らの高給の人材を使っている。そうして、オバマ政権に、エクアドルがテキサコ/シェヴロンに対しての責任免除の合意を破ったことを理由に、エクアドルから最恵国待遇を剥奪させようとしている。

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