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ダメ人間のオタク浪人のブログ・9つ目。
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『紐育時報』09年4月2日


連邦核規制委員会は、水曜日、Oyster Creekの核反応施設にもう20年間運営する許可を与えた。


オイスタークリーク事件は、このOcean郡Lacey町にある発電所は、1967年に開始された、国内で最も古い原子力発電所であり、錆が鋼管を腐蝕させているために注目されてきた。管は、緊急時には放射能を帯びた蒸気を含むかもしれず、毎日の燃料補給の際に反応炉の上の貯水槽に数百トンの水を運んでいる。


しかし、現在米国エネルギー会社と呼ばれる原子炉の運営者による、数回にわたる広汎な調査の結果、規制委員会の技術者は、錆は進行しておらず、安全な運転のために十分な金属が残っていると結論づけた。


2000年以降、委員会は、国内の51の他の反応炉に、当初の40年を超える運転の許可を与えている。


この許可は、紐育州BuchananのIndian Point 2, 3、ヴァーモント州VernonのVermont Yankeeなどの他の反応炉においても、延長反対派の勝利は難しくなったことを示している。


委員会の四人の委員のうち三人は、下位の規制委員会でもこの決定を維持する投票をし、反対派による再議論の要望を斥けた。四人目は多数派と意見を分かったが、その大部分には賛成しているという。


幾人かの委員会職員は、再度の延長を行い、原子炉を最大で80年間運転させる可能性についても議論した。


委員会の立場は、当初の許可の40年という期間は、反トラスト問題に対応するためのものであり、原子炉の物理的な寿命によるものではないというものである。


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しかし、やはり一番驚いたのは、便所関係でしょうか。


便所の大便室の中で××××をしたとか××××をしたとか×××をさせたとかいう話を聞くと、信じ難い思いがします。


話に聞くだけでなく、実際にそれらしき様子を目撃したこともあります。


洋式便器を抱かせて×××で×××とかも読んだことがあるのですが、よく相手の女がそんなことを許したな、と思います。


松江の小中学生に便器を抱けとか言ったら、流血沙汰になりそうな気がするのですが。


まあそこまでは行かなくても、便所の大便室で着替えたりなどは、みんなよくやっているようです。


小中学校の頃に共有されていた感覚というのは、便所というのは汚い所で、そこにあるものには触れたくない、どうしても排尿排便をする必要がある時でなければ、そこには行かない、行ったとしても、可及的速やかに事を済まして去るというものだったのですが。


単に便所の中であるというだけでもそうで、ましてや大便器のある所となると、絶対に足を踏み入れたくないという人が、小中学校では多かったのです。


そんな松江の小中学生の感覚を根底に抱えているオタク浪人としては、東京の人が平気で便所の中で過ごすことが出来ることに、驚異を感じるのです。


便所の手洗いの前で整髪などの身繕いをしている人は多いですし、個室の中でも、入ったらなかなか出てこない人が多いのです。


ついでにいうと、整髪料については最近はスプレー式のものは少なくなりましたが、狭い空間の中でデオドラントを使うのは、周囲の迷惑なのでやめて欲しいです。


一番迷惑なのは、言うまでもなく、便所の中で煙草を吸っている人ですが。


勿論、小中学生の頃の、無闇に便所を汚がっていた態度はそれはそれで問題があるものであり、改められるべきものであるとは思うのですが、しかし、厠で××××とかいうのは、これはこれでまた変だとも思うのです。


便所でこういうことをしても、どうしても気持ちいいよりも気持ち悪いという感覚の方が勝ってしまうだろうとオタク浪人は思うのですが。

東京で暮らし始めて更に、人々が「汚い」(と、少なくとも中学の頃には思われていたこと)を気にしていないのを見て、色々驚きました。


床に荷物を置いたり、床に座ったりするのを気にしな威こともその一つです。(ここでいう床というのは、土足で歩く場所のことです。)


オタク浪人は、上京した当時は、電車の座席に座るのさえ嫌で、更に吊革を持つのも、床に荷物を置くのも嫌だったので、電車に乗る時は、いくら空いていても座らず、荷物は全て手に持ち、吊革・柱等には触れずに足だけで平衡を取って立っていました。(勿論、長距離列車では座りましたが。)


机の上に突っ伏して寝るというのも当初はよく理解出来ませんでした。眠っているうちに、机を嘗めてしまったら汚いだろうと思っていたのです。


しかし、オタク浪人自身、なにかと体力を消耗しがちな東京での生活においては、すこしでも体の負担を減らした方がいいということが、段々分かってきました。

オタク浪人は、それでも高校時代まではまだ潔癖性が残っていたのですが、大学に入って東京で暮らし始めると、完全にこれを放棄せざるを得ませんでした。


それ以前に、まず、受験の時に、便所で受験票を口に銜えている人を見て驚きました。


しかも、それをやっている人が、決して一人ではなく、結構いるのです。


受験の時というのは、まさに便所を使うのを躊躇ってなどいられない時ではありますが、それでも受験票を口に銜えなくてもと、度肝を抜かれたものです。


ちなみに、近年ではどこでも急速に厠が奇麗なものに改修されるようになりましたが、オタク浪人が上京した頃は、まだまだ便所というのはかなり汚く、匂う場所でした。


その頃は女子便所が少なかったので(今では増えています)、女子便所の前では行列が出来ていたりもしました。


他人が使った直後の便所を使うのは嫌だとか、便所の前に並ぶのは恥ずかしいとか、松江二中の生徒だったら誰もそう言うだろうのに、その時そこにいたみんなは、そんなことは全く気にしていないように見え、「これぐらいの神経の太さを身に付けないと、受験に臨むことは出来ないんだ。」と、オタク浪人は妙な所で感心したものです。


ちなみに、行列が出来ていたのは女子便所だけではなく、男子便所でも中では行列が出来ていました。


まあ、とにかくそんなことで、初めて受験で上京した際には、まず、便所を気にしない東京の学生の神経の太さというか、度胸というかに圧倒されたものです。


まさに、受験以前に、神経戦で敗れたといった感じでした。


勿論、落ちたのは、そんなことが理由ではなく、オタク浪人に基礎的な学力がなかったからではありますが。

このような一種病的な潔癖性は、もともと根拠がないものだからか、環境が変わると簡単に消えてしまうことも多いようです。


オタク浪人は、高校に入った時、高校の先輩や同級生が堂々と学校の便所で大便をして、更には大便をしたことを自慢話にしたりしているのを見て、びっくりしました。


小中学校の頃は、みんな、学校の便所で大便をすることは極力避け、やむを得ずすることがあっても、そのことは極力秘するようにしていました。


これは、明らかに体には悪いことですから、教師は繰り返し学校で大便することを羞じたり、あるいは人が大便したのをからかったりしないようにと注意していたのですが、全く効果はありませんでした。


それが、高校に入った途端、みんな(特に運動部の部員は)むしろ大便自慢をするようになったのです。


これは、一つには、部活が夜遅くまであるため学校にいる時間が長くなり、どうしても大便を学校でせざるをないとか、部活で猛練習するためには食べる必要があり、そうするとどうしても出るものは出るという事情もあったでしょう。


しかし、より根本的には、中学と高校が、松江と東京ほどの大きな違いはないものの、やはり別の文化圏だったということの方が大きいように思います。


小中学校においては、勉強や部活において高い成績を収めているということは、評価されることではありませんでした。


それどころか、反対に、特に小学校においては、勉強が出来る子(つまりオタク浪人など)は、教師からも同級生からも攻撃の対象となっていました。


その代わりに、小中学校の生徒特有の、一種独特の行動様式を洗練された形で身に付けていることだけが、小中学校で尊敬を得る唯一の基準でした。


これは、一方では生徒会・部活の役員の持つ絶対的な責任感・集団行動の規律を生み出すなど、いい面もあったのですが、どうでもいい細かいこと(髪型とか、制服の着こなしとか)にこだわり、本質的なこと(学問)を置いていたという負の側面も多分にありました。


それが、高校に入ると、中学までとは打って変わって部活・勉強の成績が唯一の評価基準となり、中学までのような、細かい人間関係を結ぶ能力は評価の対象ではなくなってきます。そして、中学では最も重きを置かれていた、クラス役員・生徒会役員を務めることも、高校ではほとんど見向きもされなくなります。


同じ制服を着ているので、大人から見れば同じように見えるかも知れませんが、中学と高校の間にはこのように激しい断絶があったのです。


実際、これは根本的と言うほど大きな溝です。行動原理が、集団主義から個人主義に完全に変わっているのですから。


もっとも、個人主義と言っても、松江北高のものは、あくまでも個人の努力による勉強と部活における成績が第一に評価されるということにとどまるものであり、個人の私的経済的利益の獲得が評価基準となる東京のそれとはまた根本的に異なっていたのですが。


ともあれ、学校で大便をしないということも、上で述べた、小中学生が持っていた、その中で尊敬を得るためにはそれを洗練された形で遂行せねばならない「独特の行動様式」の一つであり、高校に入って、そのような集団的行動様式の価値自体が崩壊してしまうと、意味を持たなくなってしまうのも当然ということなのでしょう。

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